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マイケル・ジョーダンの幻の野球時代|外野手としての成績と父の夢

野球
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「バスケの神様」マイケル・ジョーダン。誰もが知るレジェンドですが、彼が一時期バットを握ってプロ野球選手として本気でプレーしていたって、知ってましたか?

「ジョーダンがメジャー挑戦したらしいよ」――この話、なんとなく聞いたことがある人も多いと思います。でも実はこれ、半分正解で半分間違いなんです。今回は物欲パパが、草野球で外野を守る一プレイヤーの目線も交えて、ジョーダンの”幻の野球選手時代”を掘り下げてみます。

なぜバスケの神様が野球を?――父の夢という背景

ジョーダンが野球に転向したのは1993年。3連覇を成し遂げた絶頂期に、彼は突如NBAからの引退を発表します。世界中が驚いたこの決断の裏には、深い理由がありました。

きっかけは、父ジェームズさんの存在です。父はかねてから「お前なら野球でもやれた」とジョーダンに語っていたそう。本人もニューヨーク・タイムズのインタビューで「すべては父のアイデアから始まった」と振り返っています。そしてその父が1993年に事件で亡くなったことが、ジョーダンを野球の道へと突き動かしました。

つまりこの挑戦は、単なる気まぐれではなく亡き父の夢を追う旅でもあったわけです。ここを知ると、彼の野球時代の見え方がちょっと変わってきますよね。

所属はダブルA「バーミンガム・バロンズ」――メジャーには届かなかった

ここが冒頭で言った「半分間違い」の部分です。

ジョーダンは1994年2月、シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結びました。配属されたのは傘下のダブルA(2A)「バーミンガム・バロンズ」。サザンリーグというマイナーリーグの舞台です。

そう、彼は一度もメジャーリーグの試合には出ていないんです。「メジャー挑戦」というより、正確には「メジャーを目指してマイナーで戦った」が正しい。世界最高峰のアスリートが、長距離バスで地方を転戦するマイナーの世界に飛び込んだ――それだけでも、なかなかすごい話だと思いませんか。

ちなみに背番号は45番。これは高校時代に野球部でつけていた番号で、原点回帰の意味が込められています。そして当時の監督は、後にメジャーで名将となるテリー・フランコナ。野球好きとしては、このあたりの小ネタもニヤッとしますね。

気になる成績は?127試合の打撃データ

では実際、ジョーダンはどれくらい打てたのか。1994年シーズンの成績がこちらです。

試合 打率 本塁打 打点 盗塁 三振
127 .202 3 51 30 114

数字だけ見ると、打率.202・三振114と、たしかに苦戦の跡が見えます。でも――ここで物欲パパとして、ひとこと言わせてください。

⚾ 物欲パパの本音コメント

正直、打率.202という数字だけ見れば「苦戦したんだな」で終わってしまいがちです。でも僕が「おっ」と思ったのは本塁打3本のほう。軟式じゃなくて硬式ボールを、しかも金属じゃなく木製バットで柵越えさせるって、草野球で実際にバットを振っている身からすると、めちゃくちゃ技術がいるんですよ。芯を少しでも外したら一気に詰まるし、飛距離なんて全然出ない。それを、15年近くまともに野球から離れていた人間が、プロのマイナーの世界で木製バットでホームラン。たとえ2Aでも、これは普通にとんでもないことだと、僕は思います。

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ポジションは外野手だった――ここが共感ポイント

ジョーダンが守っていたポジションは外野手。これ、外野を守る僕としては勝手に親近感が湧くポイントです。

身長198cmの長身を活かした守備範囲は魅力的だった一方、15年近いブランクを経てプロの打球を追うのは並大抵じゃなかったはず。草野球で「久しぶりに外野やったら全然動けなかった…」なんて経験がある人なら、その無謀さがちょっとだけ想像できると思います。ましてや相手はプロのレベルですからね。

成績以上に評価された”練習量”

結果だけ見れば物足りないかもしれません。でも、現場でジョーダンを見ていた関係者が口を揃えて語るのは、その練習への姿勢です。

誰よりも早く球場に来て打撃練習を始め、誰よりも遅くまで残ってバットを振り続ける。その練習量は「伝説的だった」と評されるほどでした。世界一の称号を手にした男が、ゼロから新しい競技に挑み、泥臭く努力する。スター性だけでなく、この姿勢こそがジョーダンがジョーダンたる所以なのかもしれません。

そして「I’m back」――NBAへの帰還

1995年3月、ジョーダンはわずか2語の声明とともにバスケットコートへ戻ります。「I’m back(私は戻ってきた)」。野球選手としてのキャリアは、こうして1年あまりで幕を閉じました。

メジャーには届かなかった。でも、父の夢を追い、未知の世界に本気で飛び込んだあの1年は、決して無駄ではなかったはずです。コートに戻ったジョーダンは、その後さらに3連覇を達成。野球で味わった挫折と努力が、彼を再び高みへ押し上げたのかもしれません。

まとめ|挑戦に年齢もキャリアも関係ない

マイケル・ジョーダンの野球挑戦は、「メジャーリーガーになった」わけではありません。あくまでマイナーリーグでの1年。でも、世界最高のアスリートが新しい競技にゼロから挑み、木製バットでホームランを放ち、誰よりも練習した――その事実だけで、僕は十分すごい挑戦だったと思います。

15年ぶりにバットを握って、それでもプロの世界で戦った。これって、年齢やブランクを理由に「もう無理かな」と思いがちな僕ら草野球プレイヤーにとっても、ちょっと背中を押される話じゃないでしょうか。さあ、次の週末、またグラウンドに行きたくなってきました。

参考・出典

  • MLB.com 公式「Michael Jordan’s time in Minor League Baseball」
  • The New York Times(1994年・本人インタビュー)
  • 各種マイナーリーグ成績データベース(StatsCrew 等)

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